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〜天空からのサイン〜 Sign of the Sky
― A l w a y s w i t h G O D ― |
プ ロ フ ィ ー ル
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名前 : 丹羽 俊一朗(にわ しゅんいちろう) 出生地 : 東京
そもそも、私の母方の祖母の家では家族、親戚皆がなんらかの霊体験をしていたし、祖母はかつてはよく曽 祖父が降りてきて声色が変わったりしていてイタコ状態だったので、日常の会話の中にも普通に皆が当たり前のこととして霊世界の話を していました。私自身も見えない世界の存在を当たり前のことと受けとっていました。 霊の世界というのが存在していたのはわかっていましたが、UFOやアトランティス大陸、未確認生物、ノストラ ダムスと興味の対象は次々と広がっていったのもこのころだったと思います。もう少し大きくなって、中学生位 になると、宗教についても考えを巡らすようになりました。石ころを学校の帰りに蹴飛ばしながら自分の人生を 石ころの行方に重ね合わせて解釈したりしていました。高校にもなるとなぜ人間は存在するのか。生きることに何の意味があ るのか。神とはなにか。などの疑問が頭から離れなくなり、受験地獄の重圧と相まって苦しい日々を過ごしたの は忘れえぬ思い出です。。今でも特定の宗教に所属したり、信奉したりはしていませんが、宗教というものがどんな形 であれ、有史以来存続してきたのは人間の神に対する憧憬の念の表れだと思うので、特に否定するつもりもありません。 1990年にアメリカはオレゴン州に一年間、日本の大学に在学しつつ留学していました。世界中の人達と交 わることはワクワクする体験だったし、その後の生き方の方向性を決めた経験だったと思います。英語はほとんど 忘れてしまいましたが、やっぱり話せるようになりたいと常々思っています。ついでに言うと、アメリカでも霊体験 は多々ありました。アメリカですからポルターガイストみたいなのでしたけど・・・。 社会人になって・・・住宅営業や金属会社の法人営業など転職を重ねました。会社に行くのがいやでいやでしょ うがなかったです。俺はこんなことをする為に生まれてきたんじゃない!って感じで。隣りの芝が青いかどうか 確かめに行くと上司に啖呵を切って、会社を辞め、多少は青いかも・・・などといいつつ自分を一生懸命に正当化 していました。 25歳のときに、導かれて突然中国にまたもや留学することになり、一年後中国で就職、日本企業の工場で中 国人のスタッフや工員達とともに生活しました。国と国との歴史的背景による人間関係の難しさと、国境を越えた 上下関係の一触即発のすれすれのやり取りを通じながらも、同じ人間であるという国境を越えた同胞感覚を体験しました。 帰国後は香港の半導体関連の商社の日本支店に就職しましたが、今度は上司との人間関係にくたびれ、遂に脱サラ を決意しました。悪あがきもここまでだという感じでした。 その後、失業中にビデオを借りてきた「パッチアダムス」で人生が180度変わり、医療の道へ。カイロプラ クティックの学校に入学。その頃、サンマーク出版から出ている「神との対話」に出会い人生が動き出しました。 精神世界にのめり込み、ワークショップや各種セミナー瞑想や呼吸法に参加するようになりました。シンクロ二 シティが連続し始め、パッチアダムス本人にもお会いでき、人生のパートナーにも巡り合い、さらには妻を通し てメッセージが来るようになりました。いわゆるチャネリングですが今でも突然にやってきます。寝入る瞬間の もう限界というときに妻に起されるので、眠くないときにお願いしますとこの間お願いしたところです(笑)。 現在は東京・田園調布にてホリスティック治療院を開業。多くのクライアントと接し充実した日々を送っています。
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